あなたの隣のシネフィルちゃん

映画について語っていきます。

『ランボー』と『一人だけの軍隊』

ベトナム帰還兵のジョン・ランボー(以下ランボー)は、グリーンベレー隊員時代の戦友、デルメア・ベリーの自宅を訪ねるが、化学戦の薬品の悪影響でガンを患い亡くなっていた事を知る。失意の中ランボーは小さな街ホリデーランドを訪れる。しかし踏み入った途端保安官のティーズルから身なりと面構えを理由に呼び止められ街を追い出されてしまう。諦めないランボーは街に舞い戻ろうするが、ティーズルの手によって浮浪罪および公務執行妨害、そして凶器所持の疑いで逮捕されてしまう。警察署内の地下室に移送されたランボー。そこでは拷問めいた取り調べが行われていた。ランボーベトナム戦争時のトラウマを想起し、覚醒。数多の保安官相手に大立ち回りを演じて脱走する。ランボーの孤独な戦いが始まった。

デヴィッド・マレルによる『一人だけの軍隊』はアクションスリラーというジャンルに分類される小説であるものの、ハードボイルドの形式で世代間の対立というテーマや心理面を深く掘り下げる要素があった。かたや『ランボー』ではそうした要素は排除されサバイバルアクションを強調している。とはいえ、『一人だけの軍隊』や『ランボー 最後の戦場』に見られるような殺戮シーン(『一人だけの軍隊』では警察官の持つ剃刀を見た途端ベトナム戦争時の拷問がフラッシュバックしてしまい殺害している)は全くないと言っていい。殺人に関して言えば、一人しか殺しておらず、それもまた事故死というかたちであり、ランボーはほとんど手を下していない。つまり明確な殺意を持って人々を狙っていないのだ。むしろ無理解な警察側の方がランボーを殺そうとしている。

またキャラクターの設定変更もかなり目立つ。映画版のランボーは超人的かつ寡黙な男である。だが『一人だけの軍隊』では多弁を極める。こと裁判の場面(映画にはない場面だ)では長々と意見陳述をする。思うに映画版の寡黙な男という変更は素晴らしい改良だと思う。映画ではセリフの多さが映像を殺してしまいかねないからだ。一方原作のティーズルは朝鮮戦争経験者でありもうひとりの主人公という設定。だが映画ではその設定は潔く削られて単なる悪党になってしまっていて、もうひとりの主人公という役割すらない。つまり単純なキャラクターに格落ちしているのだ。この設定変更は改悪と言うべきかもしれない。次はトラウトマン大佐。映画では重要な役割を果たす彼だが、原作ではランボーと顔見知りではなく上官でもない。

物語も大きく改変していて、特にラストシーンは異なっている。映画のランボーはトラウトマン大佐に抱き抱えられるかのように連れられ自首する。が、原作ではなんと自殺してしまう。ショッキングさでいえばやはり後者のほうが頭ひとつ出ているし、また反戦ランボーの苦悩といった主題も汲み取りやすい。一応このラストは撮影されていたが、使用されず結局先述のラストへ着地したようだ。

どちらがより面白いかという比較はできないが(そもそも目指している場所が違うのだから当然だ)、両作ともに味のある作品なのでぜひとも手にとってその目で確認していただきたい。